まずはじめに、昔の僕は、「書く」という行為が大嫌いでした。なぜかというと、「字を書くということは=字を奇麗に書かなければならない。」という変な固定概念があったからです。事実、僕は字を書くのが得意な方ではなく、むしろ良く字が汚いといわれる人間でした(笑)。
そ んな僕が、ひとつだけ字を「書く」という習慣を続けてきたことがありました。それは、中学生の頃から今もずっと続けていることで、ギターで作った曲にのせ る歌詞を書くということです。字を書くことが嫌いだった当初から、そのときだけは必ずノートにペンを走らせていました。歌詞を書くときのノートは、他人に 見せたりしない自分だけのノートなので、見やすいように奇麗な字で書こう、なんてことは考えもせずに、ただひたすらにその時に感じた想いを、その時の言葉 で書き綴っていました。
つまり、僕の「書く」ことへのこだわりは、「奇麗な字を書く」ということではなくて、「その瞬間に感じた些細な感情を真空パックするための手段」なんだと思います。l
もちろん、字を「書く」ことへのこだわりは、その時に感じた想いをノートに綴ることだけではありません。僕が職人を生きるうえも最も重要な仕事のひとつでもあります。
印 鑑の彫刻士としての僕は、まだまだ修行中の身なのですが、それでも慣れない筆で日々「書く」ということにこだわりをもって印鑑を彫刻しています。だって、 印鑑に彫る字は、誰かの大切な名前なわけで、印鑑は自分自身の分身のようなもの。つまり、ひとりひとりに名付けられた名前があるように、ひとりひとりに似 合った文字の印鑑が必要だと思うんです。それはもう気が抜けません(笑)。彫刻することは技術があれば誰でも彫れると思うんです。もちろん、もの凄く素晴しい技術を持っている人が彫った印鑑は、もの凄く奇麗な仕上がりになるだろうし、それだけで価値があると思います。
<でも、本当に大切なことは、誰が彫ったとか、どうやって彫ったとかいうことではなくて、誰のために彫ったのかということだと思うんです。>
だからこそ僕は、技能士としての技術は時間をかけてじっくりと磨きつつ、例えどんな技術が身に付いたとしても、根底にある、「たったひとりの名前を彫刻する」ということを忘れずに続けていきたいと思っています。