昨日いい話しを聞いたのでさっそく和紙のノートに書きこみました。
きたなくても自分の手で書くことで感情が現れると思っているので、
デジタル時代にあえてアナログで笑。
そして要の印鑑を!
印鑑って実用的な使い方だけじゃなくて、
自分との約束のしるしとして使うのもけっこういいですよ〜。
そういえば、と思って振り返ってみると、
2012年の12月にも、「書くことへのこだわり」をブログで書いていました。
それがこちらです↓↓
5代目印章彫刻士としてのこだわり
昔の僕は、「書く」という行為が大嫌いでした。なぜかというと、「字を書くということは=字を奇麗に書かなければならない。」という変な固定概念があったからです。事実、僕は字を書くのが得意な方ではなく、むしろ良く字が汚いといわれる人間でした(笑)。
そ んな僕が、ひとつだけ字を「書く」という習慣を続けてきたことがありました。それは、中学生の頃から今もずっと続けていることで、ギターで作った曲にのせ る歌詞を書くということです。字を書くことが嫌いだった当初から、そのときだけは必ずノートにペンを走らせていました。歌詞を書くときのノートは、他人に 見せたりしない自分だけのノートなので、見やすいように奇麗な字で書こう、なんてことは考えもせずに、ただひたすらにその時に感じた想いを、その時の言葉 で書き綴っていました。
つまり、僕の「書く」ことへのこだわりは、「奇麗な字を書く」ということではなくて、「その瞬間に感じた些細な感情を真空パックするための手段」なんだと思います。
もちろん、字を「書く」ことへのこだわりは、その時に感じた想いをノートに綴ることだけではありません。僕が職人を生きるうえも最も重要な仕事のひとつでもあります。
印 鑑の彫刻士としての僕は、まだまだ修行中の身なのですが、それでも慣れない筆で日々「書く」ということにこだわりをもって印鑑を彫刻しています。だって、 印鑑に彫る字は、誰かの大切な名前なわけで、印鑑は自分自身の分身のようなもの。つまり、ひとりひとりに名付けられた名前があるように、ひとりひとりに似 合った文字の印鑑が必要だと思うんです。それはもう気が抜けません(笑)。彫刻することは技術があれば誰でも彫れると思うんです。もちろん、もの凄く素晴しい技術を持っている人が彫った印鑑は、もの凄く奇麗な仕上がりになるだろうし、それだけで価値があると思います。
でも、本当に大切なことは、誰が彫ったとか、どうやって彫ったとかいうことではなくて、誰のために彫ったのかということだと思うんです。
だからこそ僕は、技能士としての技術は時間をかけてじっくりと磨きつつ、例えどんな技術が身に付いたとしても、根底にある、「たったひとりの名前を彫刻する」ということを忘れずに続けていきたいと思っています。